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高麗山聖天院勝楽寺
2015-11-28
続日本記によると、約1300年前に高句麗の滅亡により日本に亡命した高句麗人のうち、駿河、甲斐、相模、上総、下総、日立、下野(現在の静岡、山梨、神奈川、千葉、茨城、栃木)の7つの地方に住んでいた高句麗人1799人を716年に武蔵地方に移住させて高麗郡をつくった。
現在の埼玉県日高市を中心にした地域と推定され、1889年までは高麗郡だった。 
高麗王の若光は、高句麗最後の王である宝蔵王(在位:642∼668)の末息子であり、この高麗郡の首長として荒地を開拓して産業を復興させ、民生を安定させるという大きな功を成した。 
勝楽寺は、移住した高句麗の人々と共に未開の荒地を耕した地方の民や政府から彼の功徳を認められて死後に彼を追悼するために勝楽が751年に霊廟を建立した。  
若光の三男のショソウンと孫のコオジンが、勝楽の遺志を継ぎ若光の守護仏像聖天尊を本殿とした。  
以後、創立以来の法相宗を真言宗に変更、1580年には本殿を不動とした。
今の代まで1260年間継承してきた。   
2000年には、山の中腹に新しい本堂を建立すると同時に在日同胞の無縁故者の慰霊塔も建立した。  
聖天尊から見下ろす風景は平和そうだ。  
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